「無限の彼方へさあ行くぞ!」
3歳の息子じゃじゃおがはまっているトイストーリー。主人公「ウッディ」のことを「ウッイー」と言ってますが、たまにちゃんと「ウッディ」と言ってる。
ウッディ派かバズ・ライトイヤー派かと言われると、私はバズ派。
どうも、ほんとはミスターポテトヘッド派のじゃじゃまるです。
前回は、生体肝移植当日を迎えた日についての内容でした。今回は生体肝移植後についての内容になります。
※この闘病記は、2016年10月にバッドキアリ症候群を告知されてから現在に至るまでを振り返って綴っています。
麻酔からの目覚め
ふと気づくと、聞こえてくる会話。
何かしゃべってるな。と、考えたときに手術が終わり目覚めたことをなんとなく悟る。
周りは見覚えのある機械だらけの真っ白な空間で、お医者さんと看護師さんに囲まれていた…と思います。事前に集中治療室は見せてもらっていたので、そこにいることは理解できました。
人工呼吸器がついているのでしゃべることはできなかったですが、意識も徐々にはっきりしてきており特に問題も見当たらなかったようで、人工呼吸器をとることになったようです。
まずはたまったタンをとる必要があるため、タンを吸い取る処置を行いまして、これが多少しんどかった??ような気がしてますが、正直なところほぼ覚えてません。
人工呼吸器をとった後ですが、特にしんどく感じることもありませんでした。痛み止めがよく効いているようで痛みもほぼなかったんですけど、身体はほぼ動きません。初めての感覚だったんですが、何とも表現できないですね。
術後2~3日後に麻酔から目覚める予定と聞いていたので、2日ほどは経ったのかなと思っていましたが、実は翌日に目覚めたらしい。あくまで予定であって、問題ないようであれば翌日でも麻酔から目覚めさせるようですね。
とりあえず、無事に起きれました。
身体につながっている管
手術前の話になりますが、主治医から術後の私の身体には以下のものがつながっていると聞かされていました。
・人工呼吸器
・胃管
・中心静脈点滴
・心電図モニター
・痛み止めの点滴
・末梢点滴
・動脈ライン
・胆管チューブ
・腹腔ドレーン
・腸瘻
・尿管
・下肢静脈血栓予防
いや、大量。。さすがは生体肝移植。これだけつながって生きていられるんだからすごいですよね。
目覚めた後に分かったことですが、胃管と腸瘻の2つはつける必要がないとのことでついていませんでした。移植前の体調がいい状態だったことによるもののようで、体調がよい状態での移植が生存率向上につながることをまじまじと感じました。
身体の傷
しばらくは腹帯やガーゼをしていたため確認できなかったのですが、術後の私の身体にはお腹と右足に傷がありました。
お腹の傷ですが、胸から臍の上のあたり、そしてそこから右の脇腹あたりまで切って縫合している箇所がありました。右足の傷は、太ももの内側の付け根あたりから膝の内側あたりまでです。
右足に傷がある理由ですが、肝臓周辺の血管をつなぐ際に血管の長さが足りないケースがあり、その際に右足にある血管を使ってつなぎ合わせる必要があるとのことでした。
集中治療室の日々
目覚めた後は、ただひたすらじっとしていましたね。といっても、いろいろな管がつながっていたため、動けないのもあるんですけど。右も左も向けずじまいで上を向かざるを得ない。
私の状態を確認するために、目覚めた当初は30分~1時間単位で看護師さんが様子を見に来ていました。起きてからはなかなか寝るに寝られない状況だったです。
2日目ぐらいから、飲む形で栄養剤みたいなものが始まりました。ジュースみたいなドリンクでしたが、これがまたマズイ。ええ、マズイのですが、良薬口に苦し。
集中治療室では比較的順調に進んだように思います。この当時は動けないものの、しんどくてやってられないとかはなかったです。第一段階は突破といった感じでしたね。
続きはまた次回に。